感應寺

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感應寺Q&A

7月盆(新盆)と8月盆(旧盆)
明治時代になるまで日本の暦は今で言う旧暦(太陰暦)だったそうです。


その頃は1年が旧暦で動き、7月15日を中心として先祖の供養をするお盆の行事を行ってました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今でもアジア圏の多くの国では新年を「旧正月」で祝うところも在ります。


日本では明治6年元日より暦が太陰暦(旧暦)から太陽暦(新暦)に変わった名残でお盆の時期が7月と8月とに分かれて今に至っているようです。

旧暦と新暦では同じ日にち(〇月〇日)でも旧暦の方が少し後となりますが、毎年「旧正月」の日が変わるように、本来であれば「旧盆」も流動的(8月下旬~9月初旬)になります。


参考までに「旧暦」とは
1カ月の長さを月齢(新月⇒満月⇒新月)29.53日を基準に定めるので、一カ月が29日間と30日間の間となります。
よって旧暦の1年は29.5×12=354日となり、新暦の1年365日(366日)と比べると約11日間少ないため旧正月が毎年移動します。


また、旧盆の時期だと農閑期で親戚が集まりやすいということも影響していたようです。


~~まとめ~~
7月盆・8月盆のいずれにしても、この時期にお盆供養を営むうえで大切な事は亡き人の縁によって今の私達が生かされていることを知り、感謝し、一日一日を大切に生きていくことではないでしょうか。
間違いのない『納骨堂』の選び
一つ前の項目「永代供養」と共に、最近非常に問い合わせが多い注目の『納骨堂』。


まず私が考える『納骨堂』・・・
① 『納骨堂』は「お墓」とは違う。
② 『納骨堂』は遺骨の(一時)預かり場所。


~~~『納骨堂』は「お墓」とは違う~~~

そもそも『お墓』とは「遺骨を土に還す場所」です。

地域性もありますが、感應寺では現在お墓に納骨する場合には遺骨をお骨壺より布(さらし)に移しお墓に納めています。
これにより長い時間は掛りますが、遺骨が土に還る事が出来ます。

一方『納骨堂』は遺骨の入ったお骨壺自体を預ける場所ですし、多くの『納骨堂』は「土に接していない区分けされた箱の中」に遺骨を安置するので、当然自然に土に還ることはありません。


~~~『納骨堂』は遺骨の(一時)預かり場所~~~

上にも記しましたが『納骨堂』は遺骨の入ったお骨壺を預ける場所で、遺骨を土に還す場所ではありません。

では、どんな条件の方が『納骨堂』を選択する事が多いでしょう?

~お身内の葬儀を出したが別居していたので自宅に持って帰っても仏壇もないし。といって、誰も住んでいない家に置いておくのは心配だ~

~しばらくの間は遺骨に手を合わせてお参りしたい。すぐにお墓に納めたくない~

~お墓の建立に費用が掛るので、もうしばらく後に考える~

といったケースがほとんどです。


感應寺にも『納骨堂』があります。
感應寺の『納骨堂』は檀家さんや感應寺霊園契約書に限り「三回忌までに遺骨を土に還してあげて下さい(お墓を建立して下さい)」が条件で無償にてお預かりしています。



ではタイトルの「間違いのない・・・」ですが


アドバイス① 
恐らく『納骨堂』を運営されている各寺院には規約が在り「〇〇年間預かり」期間が定められていると思いますので確認して下さい。

大切なのは〇〇年間が過ぎてからの対応です。

連絡は寺院からいただけるのか?
契約の更新は出来るのか?
契約期間が過ぎたら遺骨はどうなるのか?


アドバイス②
常識的な寺院なら『納骨堂』の後の「土に還す場所(お墓)」を確保をされていることでしょう。

必ず口頭だけではなく具体的な確認をしましょう。


アドバイス③
「土に還す場所(お墓)」が確保されている前提で

新たな費用が必要なのか?
納骨の供養(お経)はしていただけるのか?
同席出来るのか?(その際の連絡方法の確認)


このあたりでしょうか。


当たり前ですが遺骨は代わりがありません!
知らない間に無くなっていた・・・では取り返しが付きません。

今一度深く考える必要のある選択だと思います。
『永代供養』って?
最近特に耳にするけど、実のところよく解らない。。。
近年はマスコミやメディアを通して目に耳にされることが多いようで、非常に簡単に「永代供養をお願いしたいのですけど・・・」的な依頼が多いです。


耳障りが良いのか?クリーンなイメージなのか?はたまた手抜き丸投げなのか?


寺院に依頼する『永代供養』とは本来供養すべき方が何らかの理由で先祖供養を行うことが出来ない場合に、その方に代わり寺院が責任を持って年忌供養(法事)・お盆供養・お彼岸供養・月命日・祥月命日といったお勤め(供養)を行う事と私は解釈しております。


一般的に禅宗は五十回忌をもって忌明けとされておりますので、寺院側にとっては住職が代替わりしても続く供養内容で責任重大です。


本来ですとその「重大な責任」は当然お家の方が引き継いでいくものですので、永代供養を寺院に依頼する場合には高額な費用がかかります。
費用は各寺院によってまちまちですので必ず直接お問い合わせください。

間違っても永代供養にかかる費用等を他寺院と比較して「安い方で」みたいな安易な考えで今までお世話になったお寺さんを、ましてや宗旨宗派を無視して簡単に寺院を乗り換えるような事は、よほどの理由がそこにない限り絶対に控えて下さい。
ご先祖様が何らかの御縁(仏縁)により信仰されてきた宗旨宗派や代々に渡りお付き合いのある寺院を、生きている我々の今の都合でコロコロ替えるようではご先祖様も安らかに眠れません。


少しは御理解いただき、自分のご先祖様は自分で供養する当たり前な気持ちを思い出していただけたなら幸いです。
十三層塔(十三層石塔婆)って?
仏塔はお釈迦様誕生の地、インドの「ストゥーバ」が起源の仏教建造物です。

サンスクリット語の「ストゥーバ」を漢訳仏典では「卒塔婆(そとうば)」と音写され、耳慣れた「塔婆(とうば)」とも略されます。

    「ストゥーバ」→「卒塔婆」→「塔婆」

ただし、日本では卒塔婆は木の板の供養塔を意味するように変化し、本来の卒塔婆は塔と略すようになりました。


「層塔」は元々は仏陀を祀る墓石として建立されたようですが、時代は流れ、やがて死者の霊を祀る象徴となったようです。それが現在の「お墓」の起源なのでしょう。


「十三層塔」の「十三」は真言宗による十三仏信仰と重なり出来たようです。(十三以外にも奇数層にて石塔は多く存在します)

「十三仏信仰」とは故人の追悼供養のため、初七日~三十三回忌まで(禅宗は五十回忌まで)の合計13回の仏事に13の仏・菩薩をそれぞれの本尊として配するものです。


上から
   1層(初七日)  不動明王(ふどうみょうおう)
   2層(二七日)  釈迦如来(しゃかにょらい)
   3層(三七日)  文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
   4層(四七日)  普賢菩薩(ふげんぼさつ)
   5層(三十五日) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
   6層(六七日)  弥勒菩薩(みろくぼさつ)
   7層(四十九日) 薬師如来(やくしにょらい)
   8層(百ケ日)  観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
   9層(一周忌)  勢至菩薩(せいしぼさつ)
  10層(三回忌)  阿弥陀如来(あみだにょらい)
  11層(七回忌)  阿閃如来(あしゅくにょらい) 
  12層(十三回忌) 大日如来(だいにちにょらい)
  13層(三十三回忌)虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

となります。
  
『 焼 香 の 回 数 』& 『 お 線 香 の 本 数 』
実はこの質問、とても多いです・・・という事は、ある意味これは非常に皆さんの関心があり、且つデリケートな質問です。


基本的に「焼香の回数(+作法)」も「お線香の本数(+作法)」も各宗派によって約束事があることを認識して下さい。


以下に比較的一般的な仏教各宗派の焼香の作法を参考までに記してみました。
(臨済宗以外で誤りの有る場合はご迷惑をお掛けいたしますがご一報いただけると助かります)

 臨済宗  1回  額にいただかず焼香
 曹洞宗  2回   1回目は額にいただき、2回目はいただかずに焼香。
 真言宗  3回  
 天台宗  1回または3回
 浄土宗   特にこだわらない  
 浄土真宗 本願寺派  1回   額にいただかず焼香
 浄土真宗 大谷派   2回  額にいただかず焼香
 日蓮宗   1回または3回  
 日蓮正宗 3回


続いてお線香の本数です。
(臨済宗以外で誤りの有る場合はご迷惑をお掛けいたしますがご一報いただけると助かります)

 臨済宗  1本
 曹洞宗  1本
 真言宗  3本
 天台宗  3本
 浄土宗   1本(二つに折りにして立る)
 浄土真宗 1本(火を付け横に寝かす)
日蓮宗  1本

と、これだけ違いがあります。



 『惑わないコツ』

まずは信仰されている宗派の作法をきちんと覚えて下さい。
それにも関らず通夜式等で「忘れた!」「困った・・・」時にはとりあえず前の方の真似をして失礼のないようにしましょう。
 
季 節 ネ タ ① 『 お 彼 岸 ( 六 波 羅 密 )』
そもそも「お彼岸(春・秋)」は古代中国で作られた節気の区分法「二十四節気」により定められた季節の変わり目の一つ(「春分」・「秋分」)です。

大昔から春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に収穫に感謝する。そして作物を育ててくれた太陽と、我々を育ててくれたご先祖様に改めて感謝しお供え物をする習慣が「彼岸供養」の始まりだとか。

仏教的には春分・秋分を中心にして前後それぞれ三日間(計一週間)を「お彼岸」と言います。


仏教では『彼岸=悟りの世界』です。

「彼岸(ひがん)」は全ての煩悩を断ち切った、即ち亡くなった後の世界のことです。
それに相対する場所が
「此岸(しがん)」。これは我々が今生きている現実世界のことです。


仏教では生きながら彼岸に達する(悟る)ために下記の『六波羅密(ろくはらみつ)』という六つの徳目からなる修行をしなさいと説かれております。

『布施(ふせ)』    人や社会のためにつくして、決して報いをもとめないこと。
『持戒(じかい)』   定められたルールを守り、人間らしく生きること。
『忍辱(にんにく)』  苦難に耐え抜き、乗り越えて前に進むこと。
『精進(しょうじん)』 精一杯力をつくし、たゆみない努力をすること。
『禅定(ぜんじょう)』 冷静沈着に行動するために、落ち着いた静かな心を保つこと。
『智慧(ちえ)』    深い洞察力で、正しい判断力を養うこと。


文字にすると案外「普通の事じゃない?」と思われるかも知れませんが、本当に実践出来ているか胸に手を当てて自問してみて下さい。
誰もが生きていれば煩悩(「~したい」こと)ばかりです。
それは偏に目先の自分自身の欲求を満たすためだけの行いです。



惑わないコツ

「出来ない」理由ばかりを考える時間が有るなら、「出来る」方法を考えましょう。確実に小さなことからコツコツと・・・
 『 コ コ ロ 』 (・・・?)
「先祖供養は心が大切」と前に書きました。
これは「供養」のスタートでありゴールと言えるのではないかとの考えは私の中では変わらないと思います。
しかし、ここで勘違いしないでほしいのは先祖供養には「最低限の言動を必要とする『作法』が必然」な事です。

以下はそれを強制するために書いている訳ではありませんのであしからず。


近年特に『人(特に現代の日本人)』は非常に自分中心的な、そして自分にとって有利な(楽な)解釈を正当化することが多いように感じます。

今は『情報』の時代。発信側は何処も彼処も我先にと言わんばかりに目新しい事ばかりを無責任に取り上げる。
時代は急速に加速し、どんな流行もすぐに過去のものとなってしまい、それまで称賛してきたモノを攻撃し批判しバッサリと切り捨てる。・・・の繰り返し。
受信側は膨大な量の情報の中から自分にとって本当に「必要」か「必要でない」かを洞察する力が試される。
本来、揺るがない『価値』は個人個人一人一人の心に在るのではないでしょうか?


先の見えない経済への不安・・・。しかし、ご覧のような「物質」に溢れた我々の生活を送り、本当に満たされていないものは恐らく「心」なのでしょう。そしてその不安を断ち切るかのように物質的消費に向かい、心を満たしたような気になる。。。

欲にはキリがありません。次から次へと現れます。
目先の「欲」や「操作された情報」に振り回される自分でなく、ブレない自分を見付けましょう。


先祖供養に関しても・・・。もちろん何百年も前の作法が今の時代に当てはまるのかと聞かれれば、正直言って無理があるでしょう。
我々が生きていくために必要とする優先順位があるのは仕方ない事ですが、物欲や娯楽欲が優先されすぎる「価値」を今一度じっくり考えてみてはいかがでしょう。
今の自身が存在するのはご先祖様のおかげです。これは不変の事実です。「おかげさま」の心を思い出し、ご先祖様への感謝の気持ち・・・一日一度は心掛けましょう。



惑わないコツ
 『仮に自分は亡くなたら、子供達や孫達から何をしてもらうと嬉しく、何をされたら悲しく感じるかを逃げないで真っ直ぐに考えましょう』
宗 派 < 地 域 性 (・・・?)
本来ならば当然『宗派>地域性』です・・・が、本山のお膝元でもない限り、多くの地区は『宗派<地域性』なのが現状です。
そのため時々「???」な事があるようでして。。。
老婆心による周りの皆さんからのアドバイスを総合すると「いったい何をすれば良いの???」となるのは当然のことでしょう。

基本的に先祖供養のしきたりに宗派間に違いが有って当たり前です。そして地域間に違いが有っても当たり前だと考えて下さい。

先祖供養は『心』が大切です。
「どの方法が正しい」「どの方法が間違っている」というものでは決してありません!

誰もが今まで代々受け継がれてきた先祖供養の方法を「正しい」と思い、絶対的な自信をお持ちなのは当然なのではないでしょうか。
ですから、いただけるアドバイスは有り難く耳を傾けてあげましょう。


惑わないコツ

 『仏事で解らないことは、最初に和尚さんに聞きましょう』